返送

本日、会社の社員証や備品を返送した。

しかし、制服や返還する冊子等は、勤務先にあるため、勤務先まで行く気力もないためどうするか迷った。

制服はクリーニングをしないといけないが取りに行けない。

電話するべきだが・・・・電話するのも辛く・・・・・

社員証や備品などと共に、手紙に回収やクリーニング代は働いた給料天引きなどでおねがいしますや、身勝手なことを書いて発送してしまった。

40歳手前でこの対応はひどいだろうと思いながら、実践している自分に失望している。

俺は、年は取っているが、精神年齢は子供レベルのような気がする。

 

もはや、人生を完全に諦めている・・・・。働こうとするが、今までうまく続いたことがない。最近は、過去のことが走馬灯のように思い出して、次が見つかっても失敗する・・と思い込んでしまう。

 

雇われるのがいやなら、自分で働くしかないと言われる。しかし、何をしたら良いのかわからない・・・。株をやるも、1日1000円ほどしか稼げない。全く稼げないこともある。youtubeしようか等と考えるも、行動できず。

 

完全に詰んでいるし、生きているのが罪な気もする・・・。

 

ズルズル近づいているデッドマンの気配を感じている。

 

仰向けのまま、天井を最近ずっと見ている1日だ。

 

 

 

 

 

 

精魂尽きて仕事を辞める39歳

3年半なんとかホテル設備管理を続けたが、完全に無気力状態になって、退職しました。2か月ほど前から、すでに体の変化を感じていて、なんとか続けたけど、途中で完全に落ち込みフェードアウトしました。

 

この1年ほどで、上司や新しい仲間等がきて、職場環境が変わり自分にはかなりのストレスがたまる職場に変化した。

 

それに、この3年半働いてわかったことが自分にはコミュニケーション能力が全くないことを実体験した

特に、このコロナウィルス騒動でホテルが閑散として、余計に自分の能力のなさを露呈して、上司等とトラブルになりました。

コミュニケーション能力がないとどうなるのか・・・・・。

 

仕事がほとんど簡単な営繕だけになり、現場にいづらくなりました。

私は、そのうち誰とも話せなくなりました。

 

2か月ほど前から、職場に行くのが辛くたびたび休むことになり。

 

正式に、4月10日に辞めることになりました。

 

職場にいるだけで、苦しくなり・・・・

自分の能力のなさ・・人間性等・・・・・自分に失望しています。

 

また、無職になります。

暗闇へ・・・・

もう39歳なのにかなり焦っています・・・。

 

 

 

 

 

 

ホテルの稼働率 25パーセント

 コロナウィルスのせいで、ホテルの稼働率(客数)が25パーセントになった。

1000部屋あったとすると、100~200部屋くらいしか使用されていない状況だ。

完全に暇になると考えていたが、設備員にはほとんど関係のない話だ。

 

一昨日は、ストレージタンクのポンプ部分配管から、水漏れがあり、その部分の応急処置だけで5時間かかった。

すごい勢いで、配管からお湯が出ていて驚いた。

「止水できる気配が感じられない」と最初は感じだ。

その予想は当たり、かなり悪戦苦闘した。

ホースバンド等使用しても、一向に水漏れが改善しない。

使用している、ゴムの太さや長さを変化させながら、作業しているとなんとか水漏れを応急処置的に止めることができた。

 

タンクとポンプの間で、作業しないといけないのでずっと中腰(腰を浮かせながら)作業してた。

途中でもう半分諦めながら、作業をしていた。

「もう辞めたい・・・もう辞めたい・・・」そればかり口にしながら作業していた。

本来なら、機械番点検の人間が見つけて作業するべきなんだが、今回は自分がみつけたから止水作業している。

機械番点検の人は、もう社員じゃない人なんで、適当なんだと思う。自分も契約だから

止水作業する必要がないと感じることがあるよ。

 

設備管理の仕事は、責任の範囲がすごい曖昧で大変だよ。

社員と契約社員の仕事の量がわからん。

かなりの数自分は止水してるけど、やって当たり前みたいに扱われてるよ。

やるきのない社員はほとんどネットばかり見てるけど・・・・。

 

契約社員は、給料が安いボーナスがない・・・それは全て自分の責任。

3年たっても社員慣れないなら、この先もなれそうにない。

その場しのぎの生活・・・・・

 

地下も暗いが、俺も暗い・・・光が欲しい・・・

 

働く気が起こらない

現在、コロナウィルスによって、ホテルの稼働率は極端に低い状況である。

そのため、かなり客室の営繕は少ない。

そのためあまり世話しなく働く必要もなく、ゆっくりとした時間が流れている。

リラックスできるのはいいことだが、自分の調子が良くない。

何をするにもめちゃくちゃ体が、だるく感じる。

今頃になって、疲れがでているのか、出勤するととにかく何もしたくなくなる。

 

その何もしたくなる感じは、2016年スーパーで働いていた時のだるさを感じる。

思い出すと寒気がする記憶である。

スーパー時代は、人間関係で頭がパニックになって、精神病院に強制入院といういきさつがあるけど、もう戻りたくないね。

入院するとしばらく外でれないんだよ。自由が奪われる。本当に、絶望的だよ。

外出れるのも、何週間してからとか、1日1時間だけとかだった。

中途半端に、正常と異常の境界線を行き来してたから、自分には場違いの場所だったよ。

 

4人部屋にいたんだけど、ずっと水飲んでいる人もいたり、体に障害がある人もいたり、アル中も、薬中もいたかもしれない。

3か月くらいでれなかったから、その間に部屋の住人はコロコロ代わって記憶がある。

一番感じたのは、そこの看護師が一番頭おかしいと思ったよ。

患者に暴言いってたからね・・・・・。映画の世界だけと思ったけど、間地かで聞いたからね。あいつらが、一番精神病だろうなと感じたよ。

 

一つだけ、良い記憶は、仲良くなった患者同士で、カードゲームをすることがあったんだけど、その時が一番苦しさを感じなかった気がする。

 

90パーセントは地獄だったけど・・・・

 

良く、入院してここまで来たと自分でも思うよ。よく生きてこれたなと・・・。

 

でも、外の世界は厳しいなとかなり感じるよ。監獄のような入院もいやだけど。

 

今を感謝はするけど、やっぱり大変だな。

 

 

顔が醜い・・・

俺は、顔が醜いらしい。

昔から、良く言われていたからそんなに気にしてなかったけど。

普通にしてるんだけど、良く人から気持ち悪いと言われる。

精神的なものが顔にでてきているのか。

母方のじいちゃん・ばあちゃんが、沖縄の人でそのため、俺の顔が濃くなってしまったのか。

確かに、眉毛が太くて毛深いかもしれない。

気も弱いし。

人がいると声が出なくなってしまう。

最近この声がでなくなるという現象は、他の人にも起こるという一種の病気が取りあげられていた。場面緘黙症という病気。

 

似てるけど、場面緘黙症ではないような気がする。自分の場合は声をだすのすらめんどくさくなってしまってるかも。

 

でも、極度に緊張するんだよな。家から、外にでるだけで極度に緊張する。

 

そのせいで、顔にまで緊張顔になっているかもしれない。

 

今更、どうすることもできない。顔のこと気にしてないっていってるけど、ずっと気にしてるのが現実だけどね。でも、どうしようもないという気持ちが圧倒的にまさっている。

 

要約すると、俺はホテルの職場全体で嫌われているらしい。

 

こういう顔なんだよ・・・・どうしようもないんだよ・・・それでも働くんだよ!!

辞めたい・・・・・

 

ブログ書いていない間色々あった。

今は、辞めたくてしょうがない。

その理由は最近よく考えることのせいのためだ。

それは、

「夜勤という待機時間、今にしてみればとてもつもなく時間を無駄にしてるかもしれない。」

とぶつくさ小声でつぶやいてるような気がするほど考えている。

最近は、コロナウィルスで外国人旅行者が減り、ホテルもトラブルが少なくなっている。

そのためか、待機時間が長くなり、このままずっとこの仕事でいいのか?と疑問に考えることがある。

今が、38歳で、40歳まで1年半ほど・・・・。

60歳までビルメンをやるつもりなのか・・・最近の答えはできそうにない・・・・・と思っている。

それは、夜勤の早番・遅番と日勤の仕事をしていると体の調子がとても悪く感じるから。肺も痛いことがあり、最近は頭痛も多い。いずれ、死んでしまうかもしれないと考えることがある。

 

だから。最近

40歳になったらやりたことやるべきじゃないか!!なんて、考えることがある。

 

結婚もしてないから、誰にも迷惑かからないし、仕事やめてしまって日本一周するとか考えている。

 

考えることは、理想的なことで現実はむつかしい。

一生ついてくるお金という資本主義社会。

逃れたい資本主義社会。

 

今やりたいことは、枝豆とか畑で育てたい・・・・。

さぞかし、美味しいだろ・・・・・

 

夢見るくらい許してくれ・・・・もう本当に今の仕事から、フェイドアウトしたい。

 

逃げ出したくてしかたない・・・・無意味な仕事だよ・・・・・・・ほんとうに。

 

 

 

目を負傷していた

年が明ける前に、目を負傷してしまった。負傷というと、重い言い方が、単なる結膜炎だった。結膜炎なんてあまりなることがないのに、急に右目が腫れだした。

瞼だけではなく、莫大な目やにがでてきた。涙ではない液体が、目から出始めた。

こんなひどい状態にびっくりして、会社を休み病院に行った。

結膜炎という結果で、目薬をもらい右目は完治した・・・・

ところが、今度は左目が腫れだしてもうた!!!

もう休むことができなくて、無理やり会社に出勤した。

目薬が残ってたので、左目もなんとか完治した!!

 

ところがだ!!!これで目のことに悩まされることはないと思ったが、12月31日大晦日に、ホテルの営繕業務で薬品を使用した際、薬品が目に入ってしまった!!

細かく言うと、左目の目じり辺りに薬品が飛んでついてしまった。

目についたことよりも、作業を終わらせないといけなかったので、そのことに集中してしまい目を洗浄するのを忘れてしまった。

次の日に目が痛み始めた・・・・1月1日に痛くなったから、医者もない。これには焦ったが、めちゃくちゃ痛いわけでもなかったから、なんとか昨日医者に行って目薬をもらった。

年末に急に、目を集中して害が起こり、精神的に気持ちが削られた。

目に何かあると、ここまで苦しいと思わなかった。

 

全くめでたくない新年になりましたわ・・・・とほほほ。